2004年2月1日日曜日

メルマガ創刊記念 百日裁判(7)水彩画 2004.2.X 初出

ルイ・ヴィトンの紙袋に裁判資料を入れた
弁護士さんを囲んでいる
大手メディアの記者さん達の輪に
ユニクロのリュックを背負って紛れ込んで
聞き耳を立てていても
どうにもならないな、と思った僕は
裁判所内をしばらく散策してみる事に
してみたのでした。

まず法廷のあるフロアを観てみたところ
廊下の天井が非常に高いな、という事に気が
つきました。
天井が高い空間にいると人間は
解放的な気分になるように
思うのですがどうでしょう。
そして天井が高い廊下から
天井の低い法廷内へ入る事で
厳格な気分、になれるような気がします。
これが逆で、天井の低い廊下から
天井の高い法廷へ入っていったら
人間は法廷内で解放的な気分になって
しまうと思ってしまいます。そうでもないかな。

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
夜の底が白くなった。

川端康成の、雪国、の冒頭の一文です。
ちょっと書けません。

裁判所内の天井の高い廊下を抜けると
そこは、法廷であった。
蛍光灯の明かりが白くなった。

ダメですね。
やはり川端康成は文章が上手いと思います。

公共機関の建物は、法令で
天井の高さが決められていたように
思いますが、それなりの根拠は
あるのだと思います。
閉所恐怖症、という人は
狭いところにいると
気が狂いそうになるようです。

おそらく、裁判を行うには
裁判を行うのに適した空間、というものが
あるのだと思います。
そして裁判官は法廷内で、黒い法衣、を
身にまとう事で始めて
私心を捨てた、法の番人、となれるのでしょう。

色や形、長さや幅や高さや深さには
きっと訳があるのだと思います。

法隆寺は木造建築としては世界最古で
1300年以上倒れていない、という凄い建物です。
一節には、総ヒノキ造りだからだ、という話も
あります。ヒノキは、切り出した後も
何百年かは強度が高まっていくのだそうです。
それにプラスして僕は
神社や寺院の建築を担う、宮大工、達の
技術力があると思ってしまいます。
ギリシャ神殿には、Φ(ファイ)、の法則が
観られると聞いた事があります。
宮大工達は、完璧な建築物を造ろうとすることで
宗教的境地に到達してしまうのでは
ないかと思ってしまいます。
ちなみにイエス・キリストは、大工の子、でした。
神とは長さであり幅であり高さであり深さである、という
人もいます。この宇宙、地球、人類の法則、仏法。

三島由紀夫はその遺作となった
豊饒の海、四部作において
徹底的に仏教の唯識論を極めようとしていた
わけでありますが
この宇宙、地球、人類の法則、設定に
限りなく近づいてしまったのか
執筆当時、周囲に、飛行機は落ちるからね、と真顔で語って
気味悪がられていたようです。

僕も子供の頃から、高所恐怖症で
ずっと飛行機に乗るのが嫌でした。
でも一度勇気を振り絞って
飛行機に乗って札幌まで行ってみてからは
面白くなってきて、半年もおかずに
沖縄まで飛んで行きました。
何を言いたいのか、と言いますと
札幌に行くために飛行機に乗るのでなく
飛行機に乗るために札幌に行ったりしている僕は
やはり三島由紀夫には遠く及ばないのだな、という事です。

と、また余計な事を考えながら裁判所内を
ウロチョロしてみたところ
廊下の壁にある但し書きが目につきました。
法廷内の禁止事項、として
ヘルメットを持ち込まない
ハチマキをしない
拡声器を使用しない……etc.と、ありました。
そんな人は今時いないと思いますが
そう書いてあるという事は
昔はそういう人がいたのでしょう。

でもその気持ちは分からなくもありません。
僕も公的資金が某銀行に投入された時は
カチンときたものでした。カチンときた僕は
スピーカーも街宣者も持っていなかったので
とりあえずヘルメットを被って
愛車のビラーゴXV250のアクセルを吹かせながら
某銀行に文句を言いに出かけたものでした。

そんなこともあったなあ、と、取り戻せない過去、を
思い出してセンチになっていた僕は
フロアの片隅で水彩画を描いている青年が
目につきました。

エッセイを書くために裁判所に来ている僕も
中々の変人ですが、水彩画を描くために
裁判所に来ているこの青年も中々の変人だな、と
同類の匂いを感じ取った僕は
ちょっと声を掛けてみようと近づいて行ってみたのでした。

描いている絵をそっと背後から盗み見したところでは
どうやら人物画のようでした。

人もまばらな裁判所のフロアの片隅で
水彩の人物画を描いている青年。
僕は見てはいけないものを
見てしまったのでしょうか。
なんだこの青年は幻覚でも生じているのかも
しれないな、と思いました。
だとしたら心苦しいところではありますが
民事裁判にかけてやって禁治産宣告でも
受けさせた方が両親や親戚のためにも
なるのではないだろうか……などと考えながら
気の弱い僕は勇気を振り絞って声を
かけてみたのです。

何をお描きになっているんですか、と僕。

無言で水彩画を描き続ける青年。

たぶん、その刹那、僕は完全にその青年から
無視されたのだと思いました。
ひどい、そりゃあ、ひどい、嗚呼、ひどい。

これはもしかしたら新聞などでよく見かける
被告人の水彩画ではないか、と僕は思いました。
たぶんそうだ、きっとそうだ、絶対にそうだ。

法廷内は撮影が禁止されているので
こうして被告人の水彩画を描いて
新聞社に売りつけたりしながら
画家を目指す、というライフスタイルも
成立するのだな、と僕は思いました。

法律にはいくらでも抜け道があるものだし
世の中には本当に色んな仕事があるのだな、と
僕は学びました。



註、・Φ(ファイ)の法則

b 対 a+b = a 対 b

が成立する時

a = 1
b = 1.618

となる。

つまり

1.618 対 2.618 = 1 対 1.618

この、1 対 1.618 の比を
黄金比Φ(ファイ)と言う。

数霊術的な、幻想、として片付ける者が
多い一方、黄金比の長方形は美しいとされる。
バッハのフーガ二単調の七つの間奏曲
ヴォズネセンスキーの詩、ゴヤ
ピタゴラス学派の象徴、五ボウ星形
などに、黄金比Φ(ファイ)が見られる。
指の関節比にも、1 対 1.618 の比が
見られる。




-メルマガ創刊記念
 百日裁判(8)窮鼠猫を噛む、へ続く-
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