2004年1月10日土曜日

我が国とこの国(5)リバイアサン 2004.1.X 初出

近代国家、というのは
人間の作為によるものなのですが
日本は島国で、かつ有史以来
ほとんど外国の占領を受けた事が
なかったので、その辺の感覚が中々掴めなかったり
します。
1945年のアメリカ合衆国による占領が
おそらく有史以来初めての外国軍による
直接的占領ではないでしょうか。

近代国家は人間の作為である。

これは、ホップス、という思想家の
社会契約説、からきている考えです。
ホップスは、人間は自然状態では
万人の万人に対する闘い、の状態にあるとします。
そこで、万人の万人による闘い、を防ぐために
契約、を行って成立するのが、国家、だとします。
そして、契約、によって生まれた
その、国家、を、リバイアサン、という怪物に
喩えています。
近代国家は契約による、人間の作為、によるもの
なのですが、その作為によって生まれた国家は
リバイアサン、という怪物になるわけです。

例えば、誰も戦争なんかしたくありませんが
この、リバイアサン、という怪物が暴れ出すと
有無を言わさず国民の中から兵隊が作られて
戦地へ送り出されてしまいます。
まさに、国家、は、リバイアサン、怪物です。

こういった思想的前提があるので
欧米では、この国は、と突き放して発言しても
別に、非国民、とはならないのでしょう。
近代国家は人間の作為なのですから。
むしろ、我が国は、という主語を持ってくると
右翼、とさえとられてしまいます。
我がドイツ国民は優秀であるから
他民族は抹殺してもよい、というのが
ナチス・ドイツのロジックでした。

それに欧米では市民革命によって
王権神授的思想を否定して近代化したので
政治と宗教が上手く分かれているわけです。
ところが日本では逆に、天皇制の力を借りて
近代国家を形成しました。
明治時代に天皇制の力を借りて
廃仏毀釈による神道の一神教化によって
近代国家を作ったわけです。
西洋近代とは、全く逆のプロセスを経ているわけです。

じゃあ江戸時代はどうだったか、となると
これは日本人のスピリチュアルな支柱であり
宗教的権威である朝廷と
俗界の政治権力である徳川幕府とが
分かれていたわけです。
江戸時代に日本を訪れた外国人は
これに驚くわけです。
市民革命なしで既に政教分離が行われて
いたわけですから。

つまり日本の近代化というのは
王権神授的思想を否定して
政教分離によって近代国家を作るのではなく
宗教的権威に基づく王権によって
近代国家を築いたわけです。

そうなると、ホップスの、社会契約説、に基づく
リバイアサン、であるとか
タックスペイヤー、であるとかの
意識が持てないわけです。
つまり、近代国家は人間の作為である、という
感覚が持てないわけです。

宗教的権威と俗界の政治権力が一致して
しまっているので、この国は、という主語を
持ってこられると、なんとなく
日本人のスピリチュアルな面まで
否定されたような気がして
多くの人は、不愉快な感じ、を受けて
しまうのだと思います。

そうなると、お前が、この国、という時
あの国、はあるのか、と文句の一つも
言いたくなるわけです。

宗教的権威、と、リバイアサン、が
一致してしまっているので
この国、が、単に、社会契約説、に基づく
リバイアサンなのだ、と取れないわけです。

80年代に一世を風靡した
ブルーハーツというパンクバンドが
千のバイオリン、という曲の中で

ゆりかごから墓場までバカ野郎がついて回る

と歌う時、バカ野郎、は、社会契約説に基づく
リバイアサン、を指しているのだと僕は思います。
つまり、アホな政治家、や、アホな高級官僚達、に
向かって、バカ野郎、と叫んでいるのだと思います。

僕は子供の頃、ブルーハーツを聞いていたら
まともな大人になれないな、という恐怖感を
感じましたが、それは、リバイアサン、に
対する恐怖だったような気がします。
近代国家は、リバイアサン、怪物、なのです。

つまり、ゆりかごから墓場までついて回る
リバイアサン、に対して、バカ野郎、と叫んでいたら
まともな大人になれないな、と幼き僕は
本能的に思い恐怖を感じたのだと思います。 
そしてこんな大人になってしまいました。

例えば、アメリカ合衆国は
アメリカ大陸に住んでいたインディアンを
大量に撃ち殺して建国された、リバイアサン、です。
インディアン嘘つかない、という格言が
昔ありましたが、アメリカ大陸に住んでいた
インディアン達は、たぶん、リバイアサン、という
怪物を持たずに、大地とうまく共生していたのでは
ないか、と思ってしまいます。
日本でも、アイヌ民族、の問題があります。
オーストラリアのアボリジニなども
リバイアサン、という怪物を持たずに
大地と共生しているような気がしますが
大規模な殺し合いをしている、という話は
聞きません。
ただ、ボロロ族にも差別はある、というのは
es muss sein 運命の声、のエッセイでも
触れた通りです。

もしかしたら、ホップスの
自然状態では、万人の万人に対する闘い状態にある
という前提は、大嘘なのではないだろうか。
むしろ、リバイアサン、が生まれてから
万人の万人に対する闘い、が始まったのでは
ないだろうか。
アフリカで虐殺にいたる民族紛争が始まったのは
リバイアサン、が誕生してからなのではないだろうか。

ブラウン管の向こう側
格好つけた騎兵隊が
インディアンを撃ち倒した
ピカピカに光った銃で
できれば僕の憂鬱を
撃ち倒してくれれば
よかったのに

今度はブルーハーツの、青空、という曲の
一節です。
やはり、近代国家、リバイアサン、は
人類が生んでしまった、怪物、なのかも
しれません。
でももう、リバイアサン、は
生まれてしまいました。
僕は、近代国家は必要悪
悪だけどないと困るもの
だって僕たちはもう、竪穴式住居、には
住めないのだから、と何度かこのエッセイで
書いていますが、ホントにこの、リバイアサン、は
どうにもならない、怪物、のような気がします。

この、怪物、バカ野郎、が、ゆりかごから墓場まで
ついて回る、のです。
こんなはずじゃなかっただろ?
歴史が僕を問い詰めます。
まぶしいほど
青い空の真下で。

そして日本では、この、リバイアサン、と
神様、が結びついてしまっているわけです。
そして僕は、神社、が好き。
そして僕は、リバイアサン、が嫌い。
となると、僕は
左翼、天皇支持、となってしまうので
現代の政治状況では
無党派、となってしまうのです。
ポチ保守、でも
バカ左翼、でも
プチナショナリスト、でもない。
かといって、右翼、でもない。
左翼、天皇支持、となってしまいます。

どこかで誰かが泣いて
涙がたくさん出た
政治家にも変えられない
僕たちの世代
戦闘機が買えるぐらいの
はした金ならいらない

どこかの爆弾より
目の前のあなたの方が
ふるえる程大事件さ
僕にとっては
原子爆弾打ち込まれても
これにはかなわない

ブルーハーツという80年代に一世を風靡した
パンクバンドの、NONONO、という曲の一節です。



-我が国とこの国(6)へ続く-

https://digifactory-neo.blogspot.com/2004/01/6-20041.html



関連
ゆりかごから墓場までバカ野郎がついて回る
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皆殺しのメロディー(1)~(2)
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