2003年7月1日火曜日

黒澤映画を30本ぶっ通しで観る企画を成功させた僕は、ダーウィンの進化論に思いを馳せた 2003.

木、切って来い。
木、切ってきました、監督。
うーん、やっぱりあった方がいいな。

黒澤明監督は、そんなエピソードが
似合って、かつ許せる映画監督の一人です。
日本人離れした大陸的な豪快さを持った人で
体もかなり大きかったらしいです。
映画に関しては本当に完璧主義者で
黒澤監督が撮るとお金がかかり過ぎるから、と
いうので製作の引き受け先を探すのに
苦労したとかの話もあります。

昔は映画に限らず、様々な分野で
世界で認められても国内では評価が低いと
いうことが多かった気がしますが
黒澤監督も例にもれず、カンヌ国際映画祭で
グランプリを獲得した時も国内での評価は
低かったという話です。
グローバル化が進んだ最近ではそういった事も
なくなってきましたが、そういった面でも
黒澤明監督は30年くらい早かったのかもしれません。

僕自身も黒澤監督をリアルタイムで知る世代では
ありませんが、学生時代にレンタルビデオ店を
うろついていた時に何を思ったか突然
黒澤映画を30本ぶっ通しで観る、という企画を
思いついて実行してしまったのです。
若いという事は素晴らしい事です。
それが僕の黒澤体験でした。

僕はアメリカ文化万歳な風潮の中で
育ってきた世代だったので
子供の頃はハリウッド映画ばかり
観ていたような気がします。
おまけに日本映画は終わった、などと言われる
くらい衰退していた時期でもあったので
昔のモノクロの日本映画なんて
どうせつまらないんだろうな、という先入観が
まずありました。
ですがレンタルビデオ店でひらめいた
黒澤映画を30本ぶっ通しで観る、企画は
そういった先入観を木っ端微塵に粉砕してしまいました。

黒澤映画は、はっきり言ってハリウッド映画より
ずっと面白いし、テーマも深い。
何で日本のモノクロ映画がこんなに面白いのか、と
考えて不思議な感覚にとらわれたのですが
よく考えてみればここ50年くらいで
人類が種として進化したわけではないので
カメラや器材が進歩したりとか
画像がカラーとかハイビジョン化したとかがあっても
人間が、面白い、と感じる感覚はそんなに変わらない
のかも、などと思いました。

黒澤映画にはよく三船敏郎という役者が登場するのですが、
素人目に何かが違う、と思わせるものがあります。
何が違うのだろう、と考えてみると
よく分からないのですが
凄いのです。
どこが凄いのか……。
凄い。
どこがどう凄いのか。
凄い。
だからどこがどのように凄いのか。
凄い、という感じなのです。
谷崎潤一郎氏が、藝談というエッセイの中で
舞台の場数を踏んだ名優の藝は
映画で見てもネバリ強く脳裡に刻み込まれて
全体の筋は忘れながら、或る一場面の表情とか
動作とかが数年の後に至るまで思い出される、と
書いていましたが、まさに言いえて妙です。
三船敏郎の演技は、その演技自体が脳裡に刻み込まれて
ストーリーは忘れてしまった後でも
仕草や表情が思い浮かびます。

いやあ日本映画はこんなに凄いのか、と
黒澤映画を30本ぶっ通しで観た後に僕は思いました。 
アメリカの文化戦略に見事にハメられて
ハリウッド映画ばかり観ていた子供の頃の自分が哀れに
思えてくるほどの、黒澤体験、でした。

それでその後いろいろと調べていってみると
ジョージ・ルーカスなんかも実は黒澤映画に影響を
受けていたらしく
スターウォーズの最初のシーンで、二人?のロボットが歩いていくシーンは
黒澤映画の、隠し砦の三悪人、からもらった、との事。
さらに、七人の侍、は、荒野の七人、に
用心棒、は、ラストマンスタンディング、にと
それぞれリメイクされていると。

黒澤映画を30本ぶっ通しで観る企画を成功させた僕は
新しければ新しいほどいい、というのは
ダーウィンの進化論以来身についてしまった
人類の悪いくせで、新しくても古くても
変わらない部分は変わらないのだな、と
つくづく思いました。