2003年11月1日土曜日

想像力を摩滅させるもの(1)ハリウッド映画 2003.11.X 初出

ハリウッドのアクション映画では
主人公以外はみんな死んでもいいのだ、とばかりに
どんどんエキストラが死んでいきます。
僕はその殺されるその他大勢の人達にも
それぞれ家族や恋人がいるのではないのか、などと
余計な心配してしまうのでありますが
それは、無粋な観賞の仕方、なのかもしれません。

観客が感情移入しているキャラクターが
どんどん敵を殺していくと
カタルシスを感じてしまう、というのは
きっと人間の性(さが)なのでしょう。
日本の時代劇などでも、悪い奴らが
どんどん切られていくシーンは中々爽快だったりします。
でもほんのちょっとだけ
あっ、今倒れた悪役の一人にも
奥さんや子供や、幸福な少年時代があったのかな、と
想像力が発生する余地があってもよいような
気もします。

アクションムービーでなくても
バイオハザードのようなゲームで
モンスターを次々と倒していくときも
結構爽快だったりします。
人間というものはどうしようもないもので
そういった、攻撃性、を
誰もが自らのうちに抱えてしまっているものなのでしょう。
そして時に、攻撃、や、暴力、に
爽快感を感じてしまったりする。
だから日常の鬱憤を晴らしてくれる
娯楽、としてのアクションムービーには
それなりの存在意義があるのでしょう。
でも僕はやはり、あ、今倒れた悪役の一人にも
奥さんや子供や、幸福な少年時代があったのでは……と
想像力、が発生する余地がほしいと思う。

ある映画監督が以前、ハリウッド映画には痛みがない、と
発言されていましたが、ハリウッドの痛快アクションムービーには
まさに痛快すぎて、人が死ぬ事に対する痛みが全くないのです。
痛みに対する、想像力、が働く余地すらもありません。
むしろ人が死ぬ事に、快、が感じられるように作られています。
それはある意味、洗練、なのかもしれませんが
人が死ぬことに対する、痛み、を感じさせないように
プロットなり映像を、洗練、させていくのは
あまり好ましくないような気がします。
水戸黄門、くらいがギリギリのような気がする。

911テロが、ハリウッド映画のようだ、と
評されていたのは、記憶に新しいところです。
ハリウッド映画には、痛みがない。
痛み、に対する、想像力、が発生する余地もありません。
そしてその、ハリウッド映画、を大量に観て育った僕は
911テロの映像を見た時やはり、ハリウッド映画のようだ、と
思ってしまいました。
つまりその、痛み、を、想像、することができなかった。
僕の、想像力、は、かなり摩滅していたわけです。
それはたぶん、ハリウッド映画、をたくさん観て
育ったことと無縁ではないような気がします。
ハリウッド映画には痛みがない。
痛み、に対する、想像力、が発生する余地もないのです。


-想像力を摩滅させるもの(2)へ続く-
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